カテゴリ:パソコンPOS回想録( 13 )
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パソコンPOS回想録⑬(1998年)

パソコンPOSのような業務用ソフトは
通常、ソフトの保守契約というものを結ぶのが通常である。

しかし、私はBCPOSを世の中に出す時、
ソフト保守無料ということを明確にした。
当社が営業している時間帯であれば、いつでも電話に出れる体制を作り上げた。

私が保守無料にしたその一つの理由は
パッケージであるのに、なぜ保守を結ばなくてはいけないのかという疑問からであった。

世の中には、業務用のパッケージソフトで保守費を取ってる会社がたくさんある。

中には、その保守費で会社がまかなっているのではないかと思われるケースも多くある。
それだけ、ソフトハウスが保守費に依存している。

しかし、保守が必要なソフトって何だろう?
悪く考えると、そのソフトは完成品ではないのか?とも思ったりする。そんな中途半端なソフトを販売したあとで、バグ取りのために保守を結んでるようなことにも考えられる。

もう一つは
ソフトのレンタル費用の中に、保守という概念を混ぜたくなかったのもある。レンタル費用の中には保守費は含まない。しかし含んでいると考える方も世の中にはたくさんいる。中途半端に保守という概念を混ぜてしまうより保守無料とうたっておけば、それがすべてレンタル費用だということが出来る。

しかし、保守費用を頂かないからといって、保守をしないわけではない。営業時間内であれば、十分無料の保守は可能である。逆に電話の窓口の対応だけなのに、保守を払っていないからといって受け付けないような会社はおかしいと思っている。

サービスの金額を明確にすることによって、それだけ責任の役割分担を負うことになる。
当社は保守という概念を明確に切り離すことによって、無償で出来るサービスと有償でやるサービスの中身を分離した。
それで当社のソフトに不満があるお店は、レンタル契約を継続しなければ済むだけの話である。
しかし、それでは当社が成り立たなくなるので、できるだけ契約を長くしていただけるように、がんばることになる。

お客様も無償であればここまでのサービス、有償であればこれだけのサービスと、納得できるものになるであろう。

今から考えれば、4000店舗ものお店から保守費用を取ってれば、随分楽だろうなと考える。
しかし、お店からそれだけの費用を取ったならば、これだけの本数は販売できなかったはずである。

営業戦略、サポート戦略として、少ない費用でどこまでのサービスが出来るか、結構微妙な問題でもあった。

いま4000店舗になって初めて、その戦略が間違ってなかったことを実感する。
ソフトはバグ潰しによって、6年も経てばほとんど保守のいらない環境に育っているからだ。

よくお客様が当社に来て、「4千店もの保守はどこでおこなってるの?」と聞かれる。
私は常に、「この社内で行ってますよ」と答える。
この問い合わせ電話の少なさが、6年でソフトを完成させた自信でもある。

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by h_chuman | 2004-08-31 17:58 | パソコンPOS回想録
こだわりの在庫リアル処理
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こだわりの在庫リアル処理
パソコンPOS回想録⑫(1998年)

「BCPOS」を開発する上で
システム的にもかなりこだわったことがいくつかある。
一つは、すべての在庫処理をリアルに行うことだった。

いままでのPOSシステムというと、
バーコードを当てて販売を行うと
それをすべてトランザクションとして溜め込み
業務が終了後、データ集計を行い、売上や在庫を集計する。
そのために、締め処理というものが必ず存在した。

「BCPOS」では、
常に売上や在庫や稼動実績やポイントを
販売と同時にリアルに集計を行い
常に最新の情報として見れるように処理を行った。

一番苦労したのは在庫の処理であった。
パソコン1台だけの処理では何ら問題が起きないのだが
LANで複数台接続して使用する環境も設計に入れていたため
複数のPOSで同一商品を同時に販売しても
在庫が狂わないようにしなければならなかった。
それには排他制御を行う必要があった。

たとえば、複数台A、B、CのPOSで販売する時
同じ商品を同時にバーコードをスキャンすると
それぞれのPOSはデータベースにアクセスした順番に販売する前は、
A:在庫10、B:在庫9、C:在庫8 と表示しなくてはならない。
しかし、店頭ではバーコードをスキャンした順番に販売されるわけではなく
バラバラなタイミングで処理が行われる。

たとえばC、B、Aと読み込んだ逆に
一個ずつ売った結果は、
C:在庫9、B:在庫8、A:在庫7 とならなければならない。
これはすでに在庫を読み込んで来たとしても、
販売時に再度在庫を見直して、再計算をしなければならない。
これは、データベースとのタイミングの調整が非常に大変であった。

これをリアル処理ではなく、後処理でやったら意図も簡単に出来てしまう。
サーバで販売した順番に在庫を減らしていけば済むだけの話だ。
そのためのマシン「ストコン」なる不思議なものが流通業界には存在する。

ちなみになぜ、私がこのリアルな在庫にこだわったかと言うと
お店では在庫が見えると非常に便利なことが多々ある。
POS上で在庫が見れれば、いちいち棚をチェックする必要もなく
適正な在庫、適時な発注、在庫の過不足等を把握することが出来る。
倉庫やバックヤードに保管される在庫も要注意だ。

店によってはいちいち店頭の在庫を確認するために、
しょっちゅう簡易な棚卸を行い、発注の目安にしている店もある。
過剰な仕入を起こすと、破棄しなくてはいけない無駄が出てくる。
それに在庫が切れた時点で即座に発注が出来れば翌日の納品に間に合うが、
業務を終了し、集計した時点で発注かけたのでは、翌々日になってしまう場合もある。

商品の在庫を切らすと、即座に売上のダウンにつながる。
それに、それを調べたり、集計するための人件費は、日々積み重ねると莫大な費用にもなる。

POSデータは過去の数字だとよく言われ続けていた。
これは、リアルな処理が出来ず、過去しかデーターが参照できなかったからである。
つねにリアルな情報を見れるようにすることは
お店の経営向上にかなり結びつけることが可能になる。

私は今でも在庫をリアルに表示できるPOSを見たことがない。
他メーカの商品と差別化するには、こういった細やかな情報も必要となる。

究極の目標は「売上を伸ばすことの出来るPOS」である。パソコンである限りまだまだ可能だ。

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by h_chuman | 2004-08-25 17:57 | パソコンPOS回想録
こだわりの「レントウェア」
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パソコンPOS回想録⑪(1998年)

新しいWindowsPOSパッケージが完成した時、
私がぜひやってみたいこだわりがあった。

それは、ソフトを販売して売り切るのではなく、
ソフトを貸出(レンタル)するというものであった。
私はこのソフトレンタル方式を「レントウェア」と名付けた。

それまでのPOSのような業務用パッケージは、
通常貸し出されるものではなく販売されるものであった。

当社も以前のDOSパッケージでは、すべて買取販売で90万円もした。
そのため、POS一式をそろえようとすると150万円近くもする。
今後とも、150万円もするシステムが順調に売れていくんだろうか?

私は、その考え方には否定的であった。
POSがパソコンに移っていく時点で低価格化がすすんだ。
そのためパソコンPOSでは、ソフトの価格がハードを上回ることは
非常にお客様に高価な商品だというイメージを与える。

価値以上の高価な商品は、いずれ売れなくなる。
ソフトが売れなくなってから、あわてては遅い。
過去の経験が、私のこの不安を駆り立てた。

しかしながら、POSパッケージは業務用アプリであり
販売は、その業種だけにしか売れず大量本数販売することは難しい。
ただ単に値段だけを下げたのでは、会社を成り立たせていくのが難しくなる。
売った後、会社がなくなりサポートが出来なくなれば、
買っていただいたお客様に迷惑がかかる。
ソフトハウスの最大のサービスは、会社を継続しお客様をサポートすることだと考えた。

そこで私は、ソフトをレンタルすることを思いついた。
一店舗のお店が1カ月システムに払えるお金は、
せいぜい1万円から2万円である。
それ以上超えれば、システムの経費でお店の経営を圧迫しシステムを入れるメリットがなくなる。
そのため、ソフト代は5000円~10000円までが妥当な線だろうと思った。

ソフトをレンタルすれば、お店の初期導入費は格段に下がり、
複数店舗のチェーン店でも導入しやすくなる。
そしてレンタルであれば必要な時に導入し、
必要がなくなればソフトも返すことも出来る。
初期導入費が格段に安くなれば、
今まで導入できなかったお店も導入しやすくなり、
今までの買取で営業してたよりも、
格段に「BCPOS」を使ってもらいやすくなる。
そしてレンタル費用は、全額経費で清算出来て、
リース費用などの金利もかからない。

お客様には、いいこと尽くめの「レントウェア」であるが、
社内では大きな問題が起きていた。
なにせ、今まで90万円で売ってきた商品を、
たったの5000円で貸してしまおうというのである。
数を売らなければ、大幅な収益ダウンになると予想された。

最初に営業がたけび声をあげた。
営業マン:「社長、月にいったい何本ソフトを売ればいいんですか?」
私:「30本から50本ぐらい売ればいい」
いままで営業が90万円のソフトを、月に3~10本売れば十分なノルマに達成した。
今度は1本ソフトを5000円にするから、その5倍から10倍売ってこいというのである。

もし目標本数売れなければ、会社は赤字となり、存続することは不可能であろう。

私は周りから無謀な計画だと言われながらも、その販売方法を決定した。
パソコンPOSソフト ¥5000/月

大きな賭けでああったが、私には多少の勝算があった。

①まず、販売するまでに会社を縮小し、無駄なものを一切なくしてた。
引っ越したことにより、社員の数も最低限度必要な人数に絞り込まれてたし
大きな経費がかからないことが、少ない利益でやっていける最大の武器だった。

②ソフト・ハードの金額を最低限度の金額に抑えた。
これにより、格段に商品競争力が増し、多店舗のチェーンでの導入もすすんだ。

③パソコンPOSに特化
専用POS筐体を用いず、パソコンに特化したため、
個々の仕様に合わせるソフトの改造の手間を防ぎ、統一した環境で販売が出来た。

④個別のカスタマイズ、独自仕様の廃止
個々の企業に合わせたカスタマイズを受けなかったことにより、統一メンテナンスが可能
複数のお店で使用される仕様は、基本スイッチの変更にて可能にする。
そのため、多くの業種に対応し、販売できるルートが増えた。

販売して1~2年は不安の連続であった。
自転車操業のような日々が続き
「方向性が間違っていないのだから必ず売れる」何度も自分に言い聞かせていた。

何度もバージョンアップを重ね、機能を増やしていく中で、
6年たった今、結果として4000本の「BCPOS」の販売を行い、
月50本~60本のも販売本数をこなした結果となった。

当社は、いままで分譲住宅を売っていた不動産会社から
賃貸マンションを管理する不動産屋に変化したと思ってる。

 駅から近い=便利で
 家賃の安い=費用の安い
 住み心地のいい=使いやすい
 日当たりのいい=機能の多い
 安全な=安心な
 常にリフォームされる=常にバージョンアップされる

買う時代から借りる時代に、そんなマンション

ソフトもそういう時代が来たのだと実感してる。

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by h_chuman | 2004-08-23 17:56 | パソコンPOS回想録
「BCPOS」誕生 10年POS⑩
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パソコンPOS回想録⑩(1998年)

会社を文京区小石川に移して、身軽になってからは
精力的にWindowsPOSソフトウェアの開発に取り組んだ。

新しいWindowsPOSパッケージは、1998年3月に完成した。
私はビジコムの頭文字をとって、
新しいパッケージの商品名を「BCPOS」と名付けた。

「BCPOS」は、今までにない新発想のソフトであり、
私の今までの失敗経験を、最大限に生かせるように考えに考え抜いたパッケージであった。

POSとしては、通常の売上管理だけが出来れば十分通用するのだが
私自身のかなりのこだわりをもって設計した。

まず、10年持つパッケージでなくてはならない。

いままでPOS専用機が5年くらいのサイクルでハードが交換されていく中
そのハードを交換するたびに内部のソフトウェアが使い捨てにされていた。
システム会社はそれにより新しい開発で潤うが、お店はそのたびに莫大なソフトの改造費を払わなければならなかった。バブルの時はそれでもよかったであろう。

ソフトをそのたびに作り直す手間もさることながら、
問題は、そのたびに入れ替えの作業を行い、データの互換性も危うくなることだ。お店の顧客情報、商品情報はお店での財産にも等しい。

商売という継続性を保つためには、ハードの互換性を心配することなく
安心して使用できるものでなければならなかった。
そのためには、ベースになるものは専用機ではなく、パソコンであった。

パソコンはソフトの互換性を無視して、ハードの中身を変更することはありえない。
それに数多くのハードメーカーがパソコンを製造しているため、競争力も高まるであろう。
パソコンであれば、10年以上は互換性を保障してくれる。
それと、もしハードの故障があったとしても、パソコンであれば、本体の交換だけで済む。

このことは大きな決断でもあった。
もし、POS専用機に合わせた形でソフトを販売したなら、
POSメーカが営業の主力となり、私たちは開発にだけ力を注げばいいだろう。

しかし、パソコンを選んだならば、
WindowsPOSのパッケージなんて、一業種の一パッケージにしか過ぎない。
そのため、パソコンメーカに販売をお願いすることなんて、到底できることでなく、
私たちだけでマーケットを開拓して販売しいかなければならない。
(最近はPOSメーカもパソコンPOSの販売には力を注いでくれますが)

今でもそうだが、大手POSメーカの営業力は壮大で、私たちだけでは到底出来ないことが多い。
システムの入れ替えを検討してるお店の情報などは、ほとんど私たちでは掴むことができない。

一からの営業、これが私たちに課されたBCPOSを売る営業の使命だった。

しかし、パソコンを選んだことにより、10年、
いや10年以上の互換性を持ってお店では使用することが可能になった。

発売されてから、6年たった今、
案の定、1998年その当時、POSを導入したお店が、システムの検討時期に経ってる。
その当時に検討されて、他社を選ばれたお店が、
また新しい入れ替え検討として、当社のBCPOSを検討されてるということは
嬉しい限りでもある。

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by h_chuman | 2004-08-20 17:54 | パソコンPOS回想録
社内改革
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パソコンPOS回想録⑨(1997年)

新しいWindowsPOSパッケージを作り始めていた1997年、予期しなかった売上の低迷により過去にない赤字決算を向かえることになった。

本社を拡大移転し、次年度は売上が20%増加する見込みのもとに立てた計画だったので、前年比20%ダウンの売上は見事なまで私の計画を打ち砕いた。

売上の低迷、赤字の原因は、
①消費税5%値上げによる、一般消費の伸び悩み
②大口ユーザーの撤退
③社内での二重開発の負担増加(DOSとWindows)

ある程度予測できたこともあったのに、自分の過度の過信が招いた結果であった。

消費税が上がって売上低迷の予測が見え始めた2ヵ月後の1997年6月、私は直ちに社内の改革に着手した。

まず手がけたのは、肥大化してしまった経費の削減と、長期計画の軌道修正であった。

1996年6月に新しい事務所に引っ越してきて、まだ一年しか経っていなかった。しかし175坪のフロアーと月300万円の家賃は、経営に重くのしかかっていた。

当時の事務所のフロアの形はL字型に折れ曲がっており、100坪と75坪に別れていた。そのためテナント会社に片方の75坪を返却したいと申し入れたが、そんな都合のいい要請は受け入れられるはずもなく断られた。

しかたがなく、不必要なものは片っ端から解約・解除していった。一番大きかったのは保険であろう。いつ私がいなくなってもいいようにと、会社で3億円の死亡保険が掛けられていた。私もよくそんな保険に入ったものだと、今から考えると笑ってしまうが、実に月20万円以上のお金が保険に掛けられていた。
また、あまり使われていなかった営業車の数を半分に減らしたり、地道なコストカットを行ったが、あまり大きな効果を上げられなかった。

3ヵ月後、9月になってテナント会社から急な相談が入った。
「ビジコムさん、引越したいと、言ってましたよね」
別に引っ越したかったわけではなかったが、家賃の安いビルに引っ越したかった。その当時いた池袋ビルは、立地も家賃も申し分なかった。

テナント:「来月の10月までに引っ越しませんか?」
私:「え?」

なんと、たった一ヶ月で引っ越せ、と言う。

色々と話を聞いていると、業務拡張をしてる会社があって、ここのビルを借りたいと申し出ているらしい。当社が借りてたスペースは2階で、当時1階と3階が空室であった。ビルを借りたいといってる会社は、その1階、2階、3階の全部のフロアを使用したいため、当社が引っ越せば、その会社を誘致できるのだという。

あまりに唐突で虫のいい話だったので、しばらくほっておいたが、担当者は毎日足を運んできた。そしてそのたびに当社に有利な条件が整っていった。

有利な条件が整った1997年10月、引越しの話があって一ヶ月もしないうちに、同じテナント会社が持っていた別なビル(文京区小石川)に本社を引っ越していた。

たった1カ月で引っ越せというテナント会社もどうかと思うが、その話に乗って引っ越してしまった私もどうかと思った。引っ越した後で聞いた話だが、引っ越してきた会社は、ドコモであった。確かにサンシャイン近辺には、ドコモ関係の事務所がたくさん存在してた。道理で業務拡張してたし、そういえば通信関係って言ってたような。ドコモだと知っていればもっといい条件を引き出せたのではないかと思ったりもする。

新しい事務所は約80坪、池袋のビルに比べ約半分しか面積がなく、駅から遠く不便なとこであった。
入りきれなくなった多くの机や什器を破棄し、家賃も1/3になった。

小石川の事務所は、交通も食事するにも何かと不便なとこではあったが、隣には小石川植物園や桜の名所の播磨坂が隣接し、環境としては申し分もなく、私としては結構気に入った場所であった。それとともに、身の丈以上の背伸びから、身の丈に戻れた私は、安心感があったのだと思う。

結局、次年度の決算は、年間5億円程度の売上の会社で、約1億円の経費の削減がなされた。売上の20%の金額である。今考えても、無駄使いが多かったんだなと思うと共に、よくここまで絞りきれたものだと思っう。

このことは、その後の営業展開に非常に有利なこととなった。高コストな会社運営ではなく、低コストで運用できる。すべてのコストは商品に転化せざるをえないことを考えると、低コスト運営はお客様にも安い商品を提供できることになる。

安い=競争力の増加

この会社運営の低コスト化が、私が当初から考えていたソフトをレンタル(貸出)する営業方法、すなわち「レントウェア」の基礎に結びついていくことになる。

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by h_chuman | 2004-08-17 17:42 | パソコンPOS回想録
1996~7年⑧
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パソコンPOS回想録⑧(1996~7年)

新しい事務所に移って半年ばかり
この年は何かにつけて、変動の多い年であった。

新しいWindowsPOSシステムの開発は、連日連夜開発され続けてた。
開発会議も頻繁に行われ、怒涛のごとく日々が過ぎていった。

それと1996年から、私はある雑誌社に頼まれて、「ストアシステムはPC-POSで構築せよ」というお店のシステムにまつわる連載記事を任されていた。
雑誌自体は季刊誌(3ヶ月に一度)のため、原稿の締め切りには余裕があるのだが、記事のスペースが大きかったため、原稿用紙で約60~70ページのかなりの原稿を仕上げなければならなかった。

しかしこのことは、ある意味では自分の頭の整理につながった。それまで自分が考えていたことを、文章にまとめ、「システムでできること」、「やりたいこと」、「できないこと」、「やってはいけないこと」をまとめ、平行してWindowsPOSの開発に生かしていくことが出来た。

私の連載は全部で4回(1年)であったが、その連載が終わると同時にその雑誌は廃刊した。それは、その雑誌の記事の中に、ある大手スーパーのコンピュータの画面が無断で写真で掲載され出版された。そのため、そのスーパーから多大なクレームが発生し、出版社としても雑誌の廃刊を持って対処せざる終えない事態であった。廃刊は私には連絡がなく、次回の発行のスケジュールがないまま終わった。

1996/01 「ストアシステムはパソコンPOSで構築せよ!!(1) 」
1996/04 「ストアシステムはパソコンPOSで構築せよ!!(2) 」
1996/07 「ストアシステムはパソコンPOSで構築せよ!!(3) 」
1996/10 「ストアシステムはパソコンPOSで構築せよ!!(4) 」

1997年4月、消費税が3%から5%に上げられた。

それまでは実に順調に会社の売上は伸びていた。そして3月までは駆け込みの需要で、システム販売が今までにない順調な売上を達成した。

しかし、この売上は風前の灯火であった。
4月を過ぎるとお店の売上は激減した。消費者は消費税が上がる前に買い溜めし、どこの店も前年同月比20%ダウンに見舞われた。それにPOSシステムが必要なお店は、消費税が上がる前に購入し、需要が一巡した状態であった。

POSは設備投資である。売上の回復が見えない状態では、どのお店も設備投資を延期した。そのため計画されていたお店の導入が、次々と延期になっていった。

つい先月まで好調な売上が続いていた状態なのに、今月に入るとさっぱりシステムは売れなくなっていた。

毎年売上が伸びると見込んで、運用計画を立ててた私は愕然とした。前年比120%伸びると思ってたのが、前年比80%の売上しか達成できなかった。毎年毎年売上を伸ばしていたのに、売上の減少は初めての出来事であった。
会社は昨年規模を拡大したばかりである。そして開発は、DOSとWindowsの二重開発を強いられ苦戦している。

初めて自分が立ててた計画の甘さに気づき、私は大きな軌道修正をかけなければならなかった。

今まで自分たちが売ってきたやり方は正しかったのか?
売上の低迷に耐えられる会社になっているのか?
今までは、システムが売れれば大きな利益が発生するため、「システムが売れる」という前提に会社を運営してきた。そのために「売れなくなったら」という前提条件を、なんら考えられていなかったのである。

私は消費税が値上がりした翌月の5月から、社内改革を断行した。

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by h_chuman | 2004-08-13 17:41 | パソコンPOS回想録
WindowsPOS 開発⑦
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パソコンPOS回想録⑦(1996年)

新しいWindowsのパソコンPOSパッケージの作成は、思った以上に難航した。

当時、当社の主力商品は、MS-DOSで動くPOSパッケージであった。
このパッケージは、すでに1600セットも販売されており、すぐに開発を止められるような状況ではなかった。
お客は、今なお使ってるDOSのパッケージの使い勝手の向上を求めていた。
そのため、DOSのパッケージの開発を止めて、Windowsのシステム開発に開発者を集中させることは不可能だった。
そのため、DOSとWindows両方の開発が行われ、開発者も二倍、当然費用も倍増した。

新しい開発の二重負担の中、私はどうせ新しいものを作り直すなら、「今までの概念にないものを作ろう。」そう思って多くのこだわりを新しい開発ソフトに持ち込んだ。


第一は、レンタルすることが出来るソフト作りであった。
そのためには、コストのかからないソフト作る必要がある。
ライセンスのかかるソフトを用いて開発するのは、開発工数の縮小と手間を省くことが出来たが、それによってソフトの販売時にライセンス費用が発生したらソフトを安くお店で使ってもらうことが出来なくなる。

この当時から、ソフトをレンタルする「レントウェア」の発想が芽生えていた。しかし、このレントウェアの発想は、この当時まだ社員には話していなかった。それは、まだソフトをレンタルするため、いくつかの問題を解決しなければいけなかったからだった。

そして第二は、処理スピードの問題であった。
これはDOSからWindowsに移行する際には、大きく悩ます点である。POSのパッケージである限り、お客様を待たせるわけにはいかない。バーコードを当てて瞬時に計算し処理を行わなければならなかった。

いまのPCであれば、CPUのスピードも増して、大きな問題ではない。しかしながら当時のPCのスペックは、Pentiumの100MHzとか 133MHzとかの世界で、メモリーも32Mから64Mそこそこしか搭載されていなかった。メモリーは追加すれば多少のスピードは速くなるであろうが、コストをかけてスペックを上げたのでは、せっかくハード・ソフト共に安い費用でお店に使ってもらおうと思ってる構想が崩れた。
それにハードの費用が高くなってしまうと、完成した時に販売が苦しくなる。

これは、先日述べたように開発言語を変えることによって解決した。

当時流行のBVでは到底スピードを上げることが出来なかった。
私は、新しいPOSパッケージに、商品マスタ・顧客マスタ共々、10万件のデータを登録しても十分なスピードが得られる性能を要求した。

当時のPCで、10万件の商品データのインデックスを作成するのにVBでは1204秒(約6分)かかった。実験段階でこれだけの時間がかかると、実際の使用には、耐えられない時間だった。

そのため、簡便なVBでの開発をあきらめ、開発に3倍の時間と手間がかかるC++言語を使うことにした。

第三は、情報更新リアルタイム化であった。
最近になって、やっとリアルタイムPOSという言葉が騒がれているが、当社のPOSは開発された当初から、売上から在庫、稼動実績、ポイントまでリアルタイム処理であった。
これは、現在でもそうであるが、今までの専用POSといわれるものが、一日の作業をトランザクションとして溜め込んで、最後にストコンで更新させるような処理がほとんどであった。

しかし、私はPOSの流れからシステムを作成した歴史を持たず、パソコンの延長線上にPOSを開発していたから、クライアント・サーバの考え方は当たり前であった。そのため、販売されたデータはその場でデータベースに更新され、常に新しいデータが参照できる設計であった。

第四は操作性であった。
これに関しては、すでにDOSパッケージがあったので、かなりのノウハウが蓄積されており、ゼロから考える必要もなく、それほど問題にはならなかった。逆に新しいパッケージは古いパッケージのバージョンアップという位置づけで考えていたので、操作性を変えるわけにはいかなかった。

画面設計や操作方法、機能などの設計は、できるだけWindowsに移植するような形で継承された。しかしながら、機能が似てるからとはいえ、OSが違うということは、色々な面で暗礁に立たされた。
開発会議は毎週のように開かれ、次から次に難問が発生した。

それでも、バージョンアップという限りは、古いソフトを超える商品を作成しなければならなかった。

数々の難問を解決しながら、やっとの思いで1998年3月に「BCPOS」が完成した。

そして、その「BCPOS」の販売方法はいままでにない「レントウェア」という特異な販売方法であった。
当時の社内でも販売方法で侃々諤々論争をおこした。がしかし、最後は私の全面的な責任において、私の独断と偏見で決定した。

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by h_chuman | 2004-08-12 17:40 | パソコンPOS回想録
POSセンター引っ越し、そして新しい開発⑥
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パソコンPOS回想録⑥(1996年)

1996年6月
池袋パソコンPOSセンターは、それまでの池袋サンシャイン60の隣のビルから引っ越して、200mほど離れた池袋職案の近くの、住友不動産池袋ビルに移った。

どちらかというと、サンシャイン60の時のほうがかなり目立ってたので、ショールームだけを見ると引っ越す必要性が無かったのだが、新大塚の本社が手狭になったことと、拠点が2箇所に分かれていてかなり不便だったため、本社とショールームを一つにまとめることにした。それにより株式会社ビジコムと池袋パソコンPOSセンターの事務所の広さは、175坪もの面積になりかなりの広さがあった。

今考えるとこの時期が私のなかで一番バブリーだった時かもしれない。相変わらず会社は毎年120%の成長を遂げ、私も来年はまた120%の成長がなされるものだと確信していた。その自信はどこから来たものなのか、今ではさぐりようもないのだが、私の来期の目標は相当なものであった。

どこから聞いてきたのか?その当時は毎週のようにベンチャーキャピタルが訪れ、その数は30社以上にも上った。

ただその時私は、まだ時期尚早だと言う考え方を持っていた。というのも、まだPOSセンターもオープンして一年足らずしか経ってはいないし、ビジネスの柱として位置づけるには心もとなかった。それにその当時稼ぎ頭であったDOSのPOSパッケージも早期にWindows化しなければいけないと考えていた。

その当時販売してたDOSのPC-POSパッケージソフトは、発売からすでに7年以上も経ち、バグもほとんど無く完成尽くされていた。DOSの性格上簡便で、高速で、POSとうい商品であるため、マウスの必要性も無く、操作性も悪くは無かった。
OSの変化の流れさえなければ、このままずっと販売続けそうな気がしていた。

しかし、すでにWindows95は世の中に販売されていたし、次のWindows98の開発状況もちらちら見えてきてた。

もしその当時、何の疑問も無く、このまま成長が続けられると考えていたならば、今のビジコムはあり得なかったであろう。いつものように将来の不安がよぎり事務所を広げた後、すべての行動が慎重になった。

私は新しいWindowsPOSシステムの開発を急いだ。新しい開発のメンバーを補充し、社内にはWindowsの開発チームと今までのDOSの開発のチームの二つが混在した。

Windowsの開発は、思った以上に難航を極めた。当初VBでの開発を試みたが、わずか半年で挫折した。当初使用を考えていた当初のMSのJetエンジンは、一度データが壊れると二度と使えない代物だった。POSのデータベースとして使用するにはあまりに危険すぎた。
それまで作っていたDOSのパッケージの完成度があまりにも高かったため、設計の段階でスピードが全然追いつかないことが判明した。あまりにWindowsの環境が重たすぎたのである。

そのため、半年たってそれまで作り上げたものすべてを破棄し、ボーランド社のC++Buliderで開発を行うこととした。C++Buliderはその当時まだ出たばかりで、多くの困難が予想されたが、C++言語であるためスピードにおいては満足のいくものであった。

私の頭の中には、当社が生き残るための重要な戦略が、この開発の中に秘められていた。

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by h_chuman | 2004-08-11 17:39 | パソコンPOS回想録
浅野恭右先生、現れる⑤
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パソコンPOS回想録⑤(1995~6年)

パソコンPOSセンターを開いてて、悩み事も多かったが、悪いことばかりではなかった。

1995年、突如、財団法人流通コード開発センターの常務理事、浅野恭右氏が同じ法人の関川氏と共にPOSセンターにやってきた。

浅野氏は「バーコードの父」と呼ばれるほど、流通関係者には著名人で、今の流通で使用されるJANバーコードの基礎を作り上げた人である。
そのため、この人がいなければ今の流通のPOS業界は存在し得なかった。
私は数年前から五反田TOCの流通コード開発センターに何度が通ってはいたのだが、なかなか直接じかにゆっくり話す機会などありえなかった。そのためできればいつかゆっくり話してみたいと思っていた先生のような人であった。

その浅野先生が、突如POSセンターを訪ねてきてくれてたのである。2時間ぐらい話をしてて、今となってはどんな話をしていたのかさっぱり覚えていないが、浅野先生曰く、「いやー、こんなセンターやりたかったなー」、「もうちょっと落ち着いたら同じようなことやりたいなー」、と、すごく納得していただいた様子でしきりにPOSセンターを誉めて頂いたのを覚えている。

なんでそれほど浅野先生がPOSセンターをやりたかったのか、羨ましがったのかは、今となっては聞くことも出来ないが、多分自分のやってきたバーコードの集大成として、POSを並べたショールームをやってみたかったのではないかと思う。

私にとってみれば大先輩であり、憧れの人であり、その人と身近に話が出来て、そしてその人に羨ましがられ、誉めていただいた。
このことは、その当時POSセンターをオープンしてよかったなと実感し、今でも一番の印象として残ってる。

その後、浅野先生に会う機会はそれほどは無かったが、何かと気に留めていただいて、息子のようにかわいがって頂いた。何か新しい発見や、気にかかることがあると、すぐにFAXで要件が送られてきて、こんなことをやってみたら、とか意見、感想を求められた。
彼はなんでもFAXを送る達人で、たくさんのFAXが送られてきた。

しかし、翌年1996年5月、一通のFAXが会社に届いた。浅野先生が富士吉田で亡くなったという訃報のFAXだった。58歳だった。私は知り合った機会に先生とやっと色々な話が出来ると思っていたし、またゆっくりと先生と話したいと思っていた矢先の出来事だった。

私とPOSセンター所長の勝俣は、足立の葬儀場に向かった。浅野先生ほどの葬儀なので流通関係の何百人というありとあらゆる人が参列を行った。

その死があまりにも突然で、早すぎたからであろうか?
葬儀場は、あまりにも小さな100人も入ればいいような団地の中の小さな公民館、外には200m以上の弔問の列が出来て、流通、コンピュータメーカ等、様々な蒼々たるメンバーが列をなしていた。その列は、先生の人徳を再度認識させられるものであった。

浅野先生がもっと長く生きていたら、私は何であの時あれほど、私どものようなPOSセンターを羨ましがり、やりたがったのか?答えを聞きたかった。しかしその答えは、いずれ浅野先生の年になればわかるのではないかと思ってる。

浅野先生が羨ましがるようなことを自分たちはやってるんだ。先生は私に大きな自信を与えてくれた。

浅野恭右氏の業績は、「バーコードへの挑戦」というタイトルで日本経済評論社から出版された。


バーコードへの挑戦―浅野恭右とその時代

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by h_chuman | 2004-08-10 17:38 | パソコンPOS回想録
パソコンPOSセンターの挫折、方向転換
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パソコンPOS回想録④(1994~6年)

池袋パソコンPOSセンター開設の大きな成果といえば、POSシステムや流通関係に携わるメーカーやベンダーにおいて大きな宣伝効果をもたらしたことであった。

とはいえ、なぜか私の頭の中は日々すっきりしなかった。
時代の流れは、かなりの勢いで移り変わっていた。

この時期は、パソコンにしてもPOSにしても多くの変化をもたらした年でもあった。

NECはレジポートというレジスターを発表した。
レジにFDドライブが付いてて、FDに日報や商品データが溜められるといったものだった。
そしてそのFDをパソコンに持っていって分析をするというものだった。
NECにしてみれば画期的なレジだと思うのだが、私の理想にはほど遠いものだった。

レジにFDが付いてパソコンに持っていくのではなく、パソコン自体をPOSにしたかった。

1995年の11月、マイクロソフトからWindows95が発売された。
まだまだPOSは、専用機かDOSの世界だったので、windowsでPOSを行うということを誰もが反対した。
「あんな不安定なOSでPOSをやるなん・・・」誰もがそう言った。
多くのソフトハウス、ベンダーは従来どうりのDOSや専用機を選んだ。
そのため、池袋パソコンPOSセンターの展示機はDOSとWindowsに二分された。

すでに私の頭の中には、今後はWindowsしかありえないと思っていた。
その当時各メーカのPOSシステムのデータには互換性がなかった。
そのPOSのコマンドを知らないとデータを抜くことも出来ないし、抜けたとしても今のようにJISコードなどに統一された漢字コードではなかった。

互換性のないデータでお店の分析なんか出来ない。
データを自由に取り回しができる、互換性のあるPOSでないと、今後の流通業は生き残ることが出来ない。
そのため、パソコンPOSでPOSを組むことが最良の方法だと思っていた。

しかしWindowsの完成されたPOSパッケージはほとんど見当たらず、お客様に勧めるのに苦戦した。
すべての商談をWindowsのパッケージで進めることは到底困難だった。そのため多くのカスタマイズが発生した。
パッケージにカスタマイズをすることは私の本意とは異なっていた。

薦められるパッケージが少ない中、カスタマイズは不可欠で、無理して導入したお客様に少しずつ歪が生まれていた。

あるメーカのPOSパッケージがいいと思い、お客様に販売したのだが、そのメーカのサポートが余りにひどく、販売店としての責任までに発展していった。

お客様曰く「パソコンPOSセンターで薦めたから買ったんだ。」まったくその通りであった。

また、とても営業熱心で、サポートがよい会社なので薦めたが、その会社のパッケージはあまりに未完成でお客様の到底満足出来るものではないこともあった。

POSという商品が、そのソフトの出来・不出来だけでなく、その売った後のサポートまで求められる商品なんだ。
わかっていたことだけど、販売店の立場ではどうしようもなかった。
だからといって、メーカ、ソフトハウスにそこまで認識させた上で販売しようとすると、パッケージとは呼べないほど費用が莫大に膨らんでいった。

1995年、とうとうお客様とソフトベンダーの間で裁判沙汰になってしまった。
開発当初、できる・出来ないといった問題、そして言った・言わないといった問題でお客様とソフトベンダーの間で大きな食い違いが起きて、お客様がリースの支払いを凍結してしまったのである
当然、当社もシステムの販売当事者として巻き込まれていった。
何度も東京地裁に通い、システムの鑑定書の作成や、弁論書、陳述書、反訴状の作成、結果として、双方の和解を裁判所から勧められ、ハード・ソフト・追加開発の半分の費用を当社で負担し、泣くことになった。

この経験は私のPOSシステムの開発・販売に大きな影響を残した。
そして今後の商品開発、営業姿勢を大きく変えていくこととなった。

このことは、結果として幸福だった。

その結果私は、メーカの言い分だけで商品を信用し売ることは非常にリスクを負うことだと感じ取った。
そのため、自社で責任取れるものは、自社の商品パッケージであると考えるようになっていった。

かたちの無いソフトを扱うことに、消極的になった私は、徐々にソフトからハードに注力を注ぐとともに、自社パッケージの早急な開発を急ぐことになった。

その結果として、現在当社で機軸商品となっている「BCPOS」パッケージが生まれることになる。


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by h_chuman | 2004-08-09 17:37 | パソコンPOS回想録
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